1997 年度に広報委員長を務め、以来広報委員会にはずっとご無沙汰しておりました。この間広報委員長はどんどん若返り、昨年度は 45 期の塩田さんまで行ったところで、突然の先祖返りとなりました。 その原因として考えられることと言えば昨年夏の久しぶりの広報委員会の合宿で、古い感覚で広報とは何かということを論じてしまったこと以外にはなさそうです。
何しろ、 IT 音痴で、法友クラブの HP をこれまで見たことがなく、幹事長の時に HP 管理マニュアルを決定したことも覚えていなかったのですから。このような自分ですので、固辞して IT が得意な若手に広報委員長をやっていただいた方が良かったのではないかと正直考えています。もっとも、最近 HP を見て、ブログ以外にはほとんど内容が更新されていないことにびっくりしました。 IT を駆使するのはなかなか難しいのかもしれません。
これを自分がどうできるわけでもありませんが、少なくとも今年度は広報委員長の職責として HP 管理マニュアルに従い、常幹と力を合わせて適切に更新していけるよう、会員に要請していくこと位はしたいと思っています。
IT 分野ではこのように音痴ですが、紙媒体の「法友」の広報には 1984 年 9 月発行の「法友」から広報委員会委員として関わってきました。この号は、 1969 年 9 月 30 日の会報第 1 号を法友の 1 号として数えると 24 号になります。このときの広報委員会は町委員長を含め、たった 10 名でした。
他会派の定期的な広報活動が見られない中で、法友倶楽部は 1984 年から広報委員会の組織を作り、毎年定期的に広報活動を展開したという点で先駆的な会派であったと思います。定例的な報告記事以外に、色々な座談会、親睦行事、結婚記事 ( 大川前幹事長の結婚記事も 1986 年に掲載されています ) 、突撃体験記、たべある記、「僕結婚したいです」コーナー、自慢息子、自慢娘、独立記事など斬新な企画を次々に打ち出してきたと思います。毎年度常幹を交えて合宿も行い、広報委員会の活動を楽しんできたのではないでしょうか。
それが最近なぜルーティン化した記事が多くなったと言われるようになったのか、広報委員がなぜ楽しさではなく、大きな負担感を感じると言うようになったのか、そのあたりを広報とは何かという古い原点に立ち返り、若手の会員に考えていただき、法友倶楽部の広報活動を元気なものにし、次代の広報委員長に引き継いでいくのが、この時代遅れの広報委員長に課せられた今年度の使命かもしれないと考えています。
しかしながら、広報委員会は独自に企画して勝手に活動するものではありません。法友倶楽部の方針、常幹の方針に沿って活動するものです。皆で一緒に考えましょう。